高田好胤 - Wikipedia: "高田好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月30日 - 1998年(平成10年)6月22日)は法相宗の僧侶。薬師寺127代管主。法相宗管長。金堂、西塔など薬師寺の伽藍を復興し名物管長と呼ばれた。
1949年、副住職に就任すると、修学旅行の生徒達への法話に力を入れた。そのユーモアたっぷりで分かりやすい法話は人気を呼んだ。高田の法話を聞いた生徒は500万人にものぼるという。
1967年、管主に就任すると金堂の再建を志し、ついで西塔、中門、回廊などを次々と再建した。再建費用は大きな課題であった。金堂の再建だけでも約10億円が必要だった。薬師寺には檀家組織がなかった。そこで高田は全国の篤志の人々から一人1000円の写経納経の供養料を集める勧進を行い、これを賄おうと考えた(写経勧進)。一人1000円では100万人の写経が必要であった。高田は全国、800以上の市町村で8000回におよぶ講演をして周った。1976年には念願の100万巻が達成され、同年、金堂が再建された。その後も写経勧進は進み、1997年には600万巻にのぼった。写経勧進は現在も薬師寺の大きな柱の一つとなっている。"
坊さんはおしなべて話が上手だから、聞いていて楽しい。
薬師寺には安定的な収入源となる檀家組織がなかった。これがなかったことが新機軸(写経勧進)に踏み切らせる動機となった。イノベーションも同じで、寝てても食える状況では起こらないのである。
2 件のコメント:
高田好胤の話を3度聞いた。面白さの中に仏教・薬師寺に対する情熱が有った。近時平山画伯の大唐西域壁画を拝観し薬師寺僧侶の講話をきいた。話上手だったがそれだけのものだった。しかしすごい伽藍が再建できたものだ。大衆の宗教心が集積できれば国家、いや世界をも動かすのだから。
真宗の坊さんもお話しが上手ですね。人々の心に関する仕事だから話がうまくないと話にならない。でも意味のわからないお経を上げるだけの宗派もいます。それが結構儲かるというのだから不思議。
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